2011/06/22
コナイトソン、7月2日。
今日はよく寝た、そんな気がする。寝過ぎたせいなのか、
どうにも肩が重たいので近所の猫企画って古本&マッサージ屋さんっていう、
素晴らしく愉快な古本&マッサージ屋さんで肩をほぐしていただこうと思い、
立ち寄ったところ、今日は予約が殺到しているとの事で断念。
こうなってくると余計に肩が凝りだすっていうか、凝った気になる、
いてもたってもいられなくなる。
しかし、無力な自分にはどうする事も出来ない。
何故なら、自分で自分の肩を揉む事なんて、出来ないから。
そんな当たり前な事をこの限りないスペースを使って書いている、
その行為に、果たしてなんの意味があるのでしょうか?
そもそもが、意味なんてあるのでしょうか?あるのかな?
このブログに何か意味を持たせる必要が、あるのかな?
何度も聞いているのは、なんでかな?そして誰も答えない。
それもそのはず。だって意味の有無を決めるのは、
それを決めるのは他でもない、自分自身だから。
台詞じみたこの一行を鼻で笑うのも、自分自身だから。
そして、スランプなんて鼻で笑うぐらいの潔さを持って、
今日も書きたいと思います。ここまでが、イントロ。長過ぎるイントロ。
六月のフリージャムが終わりました、意味のある一日だった。
毎日に意味はあると思うけどね。今日も明日も、おとといも。
フロアのはちゃめちゃっぷりに呼応してギターの音もはちゃめちゃに壊れて、
そこら辺が気掛かりだったけど、そんな事に実際、意味は無いね。
コールフィールドとケモノガレの相性は、良いと、勝手に確信した。
最後の方にやったセッション、ああいうのってほんと楽しい。
大木君のラップと、ターンテーブルから飛んでくるスクラッチと、
フロアの光景と、そして自分達の音と、スローモーションで蘇るあの瞬間。
要はその繰り返しで、その瞬間をもっともっと増やしたいって思う。
その為には、やらなければいけない、もしくはやりたい事が、山程ある。
だから、試行錯誤しながらも、続けられる限りは何がなんでも続けるんだと、
偉い人が昔何かの本で言ってたかな。多分、言ってるな、大抵は。
語尾をごまかすのは照れ隠し、もしくは癖。これがスランプの原因。
本心が見え隠れするぐらいがちょうどいいって、最近考えてみたから。
でも、だからこそ続けるわけで、七月は15日の金曜日にフリージャム。
その前に実は、七月の2日に関内のBBストリートってとこでやります。
ブッキング見たら、なんだか凄腕そうなジャムバンドが勢揃い。
なんで?フリージャムだから?でも、ジャムバンドって凄いよね。
我々はジャムが好きでも決してジャムバンドではない。
あくまで縄文ロックンロール。縄文って部分にルーツって意味合いがあるね。
しかし、その辺のジャンルどうこうの位置付けには、なんの意味もない。
2011.7.2(sat) コナイトソン at B.B.Street Yokohama
open/18:30 start/19:00 adv/1800yen+1D door/2300yen+1D
w/ umi / korakora / valows / Indus&Rocks
コナイトソンっていう、イベントタイトルが良いと思いました。
久々のライブハウス、つまりステージ照明。それはスポットライト。是非。
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